探求の旅と「Number 9」との出会い
「はじめに」でも書きましたが、私がマンダラに惹かれるきっかけは、在京していた若い頃、バイト先の図書館で、箱庭療法の本を目にしたことです。
そこからアートセラピーで描かれるユング派のマンダラなど興味を持って調べたりしましたが、本家?である密教の曼荼羅にはあまり興味がなかったと思います。
その頃、GLAの信仰に出会い入会しますが、精神的に非常に問題がありましたので、私の世話をしてくださった方は、大分ご苦労なさったのではないでしょうか。
GLAの宇宙観と人間観は、HPのほうを見ていただければよいのですが、私が思っているところでは「人間の本質は永遠不滅の魂であり、実在界(あの世)と現象界(この世)を輪廻している。それは、魂の進化のためで、自己の確立と世界の調和が目的である。しかし人間として肉体を持つと、自らが魂であることも忘れ果て、肉体と血縁と時代と地域の中に埋められ、何が真実で何が嘘かもわからなくなって、蓄積された魂の力も用いることができぬまま人生が終わってしまう。そのために、魂の学(たましいのがく)により、人間と世界の真の姿を知り、魂の感覚を呼び覚まし、自己を変革して、その可能性を開花させなければならない」というふうに理解しております。
その後、郷里の岩手に帰ってから、TVで偶然に「神話の力」を見て大いに触発され、最終回でマンダラのことが取り上げられたことから、再びマンダラ熱が再燃し、今度は密教のマンダラも調べ始め、どんどんハマってゆきました。
当時はネット環境もない頃でしたので、二、三か月に一度は仙台に行き、書店でマンダラ関係の本をあさりました。
またトウィッチの「マンダラの理論と実践」(マンダラ研究の古典的名著)を読まねばならんということで、地元の本屋で注文したら、大学の研究室に置いてあるような豪華な本が届き、価格はなんと5万円以上・・・。今更断るわけにもいかず、泣く泣く購入するという悲喜劇もおきました。そんな高価な本がこの世に存在するということ自体、頭になかったんですね。
また、同じ頃、雑誌の魔術かなにかの特集記事で、七芒星や十一芒星といった「星形多角形」を見て、とても驚きました。それまで五芒星、六芒星ぐらいしか知らなかったのは確かなのですが、何故か、本当に驚いて、何としてもそれら芒星図形の意味が知りたいと真剣に思いました。意味が分かれば、その意味を持ってマンダラが描けますので。
そして、2000年前後ではないかと思うのですが、やはりまた仙台の書店でマンダラ本漁りをしていて、数学書の棚を見たら「Number 9」というタイトルの本が目に入ってきました。著者は英国の建築家セシル・バルモンド氏で、何気なくめくってみると、今、凝っている芒星図形(九芒星)が「数のマンダラ」と称して描かれていたのです。
そういえば「9」は、金胎両部のマンダラにハッキリと表れている数ですし、お値段も1500円とお手頃でしたので(笑)早速購入し、帰りの電車の中でじっくり読んでみました。
バルモンド氏は、大変高名な建築家で(例えば、あの不思議な構造の中国中央電視台や、伊藤豊雄氏が設計した台中国家歌劇院などの構造設計を担当されたのはバルモンド氏です)イェール大学、ペンシルベニア大学、ハーバード大学などの教授を歴任し、国際的技術コンサルタント会社アラップ社の副会長を務められる凄い方なのですが、「Number9」そのものは、数学が重視される国で、少年エンジルが、女神の導きを受けて、数9の不思議とその力を人々に知らしめるべく奮闘するという物語仕立てで、数学そのものも簡単な加減乗除しか出てこない──という、まことに読みやすい本です。
そして、とてもおもしろかった!
「数字根(すうじこん)」というのをご存じでしょうか?すべての自然数(1,2,3…と続く数)は、何桁でも、すべての数を足し合わせ、一桁にすることができるのです。例えば・・・
625=6+2+5=13=1+3=4となりますので625の数字根は4となります。
占いの数秘術などで用いられる方法ですが、これですべての数、どんなに巨大な数でも1から9までの一桁の数に変換できるわけです。バルモンド氏はこれをΣ(シグマ〜古代ギリシャで数の総和を現す言葉)と呼び「数の原子(アトム)」とします。
氏は、このはなはだシンプルな方法を用いて、複雑怪奇な数の世界に切り込んで行きます。
まず最初に、1から9までの数が歴史上どのような意味を持って扱われてきたかを検討し、数9の特異性を浮き彫りにします。あらゆる国、あらゆる文化の中で、数9が特別な数として扱われてきたことを示し、さらにすべての数を内包する9の不思議な性質を明かしてゆきます。
「四つの貴重な鏡」
・足し算・・・9もしくは9の倍数を任意の数に足したとき、答えは元のシグマ数に等しくなる。
33(Σ6)+9=42(Σ6)
55(Σ1)+27(Σ9)=82(Σ1)
29(Σ2)+18(Σ9)=47(Σ2)
他の数では等式は成り立たない。
25(Σ7)+8=33(Σ6)
これは引き算でも同じで
33(Σ6)−9=24(Σ6)
55(Σ1)−27(Σ9)=28(Σ1)
29(Σ2)−18(Σ9)=11(Σ2)
他の数では等式は成り立たない。
25(Σ7)−8=17(Σ8)
・掛け算・・・ある任意の数に9もしくは9の倍数を掛けたとき、その積のΣ数は常に9となる。
7×9=63(Σ9)
4×45=180(Σ9)
11×72=792(Σ9)
掛ける数がΣ9だと、どんな掛け算も9の刻印により、元の数は消し飛んでしまう。
・割り算・・・ある任意の数を9で割ると、元の数とあまりの数のシグマ数は等しくなる。
62(Σ8)÷9=6余り8
55(Σ1)÷9=6余り1
9で割り切れて、余りが出ない場合、元の数のΣ数は9である。
81(Σ9)÷9=9
27(Σ9)÷9=9
なにか、数9にはある種の支配力があるように思えるのですが。
例えば素数(1より大きい自然数で、約数が1とその数自身しかない数)をΣ化すると・・・(上が素数、下がシグマ値です)
2 3 5 7 11 13 17 19 23 29 31 37 41 43 47 53 59 61 67 71 73 79 83 89 97 101 103 107 109 113 127 131 137
2 4 8 1 5 2 4 1 5 7 2 8 5 7 4 8 1 7 2 8 7 2 4 8 1 5 1 4 2
139 149 151 157 163 167 173 179 181 191 193 197 199 211 223 227 229 233 239 241 251 257 263 269 271
4 5 7 4 1 5 2 8 1 2 4 8 1 4 7 2 4 8 5 7 8 5 2 8 1
とりあえず271までやってみましたが、何故か3と6と9が絶対に出てきません。3と6と9を避けなければならない理由でもあるのでしょうか?
・またバルモンド氏は「シグマ9は何らかの形で0と関連している」とされます。
加減しても0とシグマ値は変化しません。
12(Σ3)+9=21(Σ3)→12(Σ3)+0=12(Σ3)
12(Σ3)−9=3 →12(Σ3)−0=12(Σ3)
乗除では、0を掛ければどんな数も0になってしまいますが、9も、掛けた値はすべてシグマ9にしてしまいます。
5×9=45(Σ9) →5×0=0
12×9=108(Σ9)→12×0=0
9で割り切れて、余りが0の場合、元の数をΣ化すると、必ず9になる。
36(Σ9)÷9=4余り0
0を任意の数で割っても0。
0÷4=0(これ以上細かくできないもの0を、細かくしなければならないから0です)
(でも任意の数を0で割ると=0ではなく「答えなし」になります。それは「無限」になるからです。三つのリンゴを0で割るということは、無限に細かくするということですから。)
ここから、0と9の働きが奇妙に似ていることに気づきます。
何を意味しているのでしょうか?
以下は掛け算九九の表とそれをΣ化した表です。
シグマ化された九九の表を見ると、1から8までの数を9が結界となって守っている──というのでしょうか。あるいは、すべての数を9の世界に閉じ込めている・・・というべきでしょうか。
更に1と8,2と7,3と6,4と5の数列が、それぞれ前後逆の対称となっているのです。とりあえずこれらを対称数と呼ぼうと思います。
「マンダラ」
バルモンド氏は、円周上に角度40°で九点をとり、9から1までの数を配して、各数列を当てはめて見せてくれます。
対称数1と8、2と7、3と6、4と5同士は、見事に同一軌道の星形正多角形を描きますが(正三角形も、星形正多角形に分類されます)回転方向はすべて逆となります。私は、対称数同士が、同一のものの両側面として互いに補い合っているように思えます。
そして9は9のみで、一切9に埋め尽くされています。すべての数は9の中でのみ存在し、9にいのちを与えられ、9のなかで躍動しています。
また3と6の数列のみ、他の数列と異なり、3,6,9の軌道を描きます。3と6は9のかけらであり、9と特別深いつながりがあるように思われます。王である9の分身なのでしょうか?
素数を検証した時も感じましたが、3と6と9がある種特別な数であると感じます。特に9は、すべての数を内に持つがゆえに、特別なうえにも特別です。
そして、私は、マンダラとの関連を考えずにはいられません。胎蔵界曼荼羅の説明を思い出しましょう。
宇宙は大日如来の子宮であり、そこにある一切の存在(如来、菩薩、明王、神々)を、母が子を大いなる慈悲を持って育てるように、慈しみ育てている・・・それもただ育てるのではなく、仏性(菩提心)を育て、悟りの世界に導いている。そして一切の者たちは全て大日如来の化身なのだ、、、。
宇宙を円、一切存在を1から8までの数、そして大日如来を数9に置き換えても、話は通るように思えるのです。
円は数9の子宮であり、そこにある1から8までを、母が子を大いなる慈悲をもって育てるように、いつくしみ育てている、、、、それもただ育てているのではなく、仏性(菩提心)を育て、悟りの世界に導いている。そして、1から8までの数は全て数9の化身なのだ。
完全にピタリはまるわけではありませんが、私は違和感がないのです。
また、バルモンド氏がこのような主張をしているわけではありません。Number9は数9の不思議を探求する楽しい本です。しかし、私の中でマンダラの宇宙、信仰の宇宙、そして数の宇宙がまっすぐにつながってしまった。これはどうにもならないことでした。
シグマ、または数字根が極限までシンプル化した数の宇宙は、胎蔵曼荼羅をそのまま映しているように思え、そして私の信仰の宇宙につながり、真実の宇宙の姿を現しているように思えてならないのです。
次の「数の探求」では、数それぞれの意味を深く訪ねたいと思います。