対称数の示す神・生命・宇宙
最後に、対称数について考えたいと思います。
1と8
2と7
3と6
4と5
0と9
これらの数は、それぞれ一対のもの〜同じものの両側面と考えられます。
そこでこれら対称数をつなぐのに≡(合同記号)を用いたいと思います。≡は=より、強い意味での等号です。
なお、正直しっくりこないところもありますので、(上の一括で描いたものなど、どちらが適切なパターンかわからず二種類描きました)その辺はこれからの課題としたいと思います。
1≡8「全宇宙」
極小(素粒子など)と、極大(宇宙そのもの)はどこかでつながっています。それは1と8がもともと一つのものとして成り立つからです。極微と極大のつながりを思うとき、とてつもなく巨大で、ダイナミックなエネルギーの躍動を感じます。その躍動するエネルギーが、宇宙を宇宙たらしめています。
また「あの世(実在界)」と「この世(現象界)」〜暗在系と明在系を表しているとも言えます。
(あの世を何故「実在界」というかというと、「物が本当にある世界」だからだそうです。つまり、この世「現象界」のものはどんなものでも壊れ、分解され、大気と大地に還元されてゆきます。秩序あるものは、どんどん無秩序に移行する「エントロピーの法則」の働きから、なにものも逃れることはできません。しかし、あの世は永遠であるため、モノ〜またはモノの魂は、壊れることなく実在し続けるのだとか。プラトンは、この世のものはすべてイデアの世界の射影であるとしましたが、そう言うことではないでしょうか。高橋佳子先生は「人間は(魂は)死ぬと時間からも解放される」とおっしゃっておられましたが、意識の世界である「あの世」には時間もないので、時間経過で壊れるということが無いようです。ちょっと想像しにくいことですが・・・)
マンダラは、またぞろ「ウロボロスの蛇」ですが、向かって右が「この世(現象界〜物質宇宙)」。左は「あの世(実在界〜霊的宇宙)」。中心界が「神域」のつもりです。
「宇宙蛇」はもともと一つでしたが、「2」の分割によって、分離し、二つの世界となったわけです。
2≡7「分割と超克」
2によって宇宙は分割され、一切が対立する二元の宇宙が誕生しました。
二元対立を超克するためにこそ宇宙そのものが創造されたということです。分割(対立)とその超克は、1≡8の極微と極大、暗在と明在の結合のように絶対にゆるぎないつながりです。分割は超克のためにこそあり、超克は分割があってこそなされるわけです。 高橋信次先生が「宇宙は魂の修業所として創造された」とおっしゃったのは、これを意味しているのではないかと考えております。
二元対立を超克すると、人は自由の翼を得ることができますが、それは容易なことではありません。宗教の使命はその超克の仕方を教えることです。逆に言えば、その認識と方法論を持たない宗教は宗教とは言えないと思います。
絵は二元相克の闇の中で、火であぶられながら苦しむ人(仮面のようなものは六道輪廻図を抱える無常大鬼のつもりです)そこから立ち上がる人(夜明け)、そして、宇宙を自在に駆け渡る自由の翼を得た人です。
もう少し描きようもあるかと思いますが、今の私ではこの辺が限界ですね。(--;)>
3≡6「生命と創造」
3と6は神の数である9を構成する要素で、生命と創造を意味していると考えます。
1が神の創造の意思により分割され、二元宇宙が誕生し、その生命(マンダラの中心)として神が宿られました。
神の子(人間)たちは、二元宇宙を超えて、第三の道〜魂の自由を獲得するための道を歩むべくこの世にやってきます。その目的のために、この宇宙は存在しています。
4≡5「自然と人間」
こうして生命宇宙が誕生し、大自然界が生まれ、創造という神の権能を分かち与えられた「人間」が登場します。
自然界に人間が登場するのは必然であり、人間はその中で輪廻転生しながら修行を重ねてゆくことになります。
0≡9「神」
神に関しては0または9の項をご覧ください。創造主であり、一切生命の本源である神がどういうご存在なのか、私には説明できません・・・いや、一つだけ。それは「マンダラの中心に座っている人」ということです。そして曼荼羅宇宙そのもの・・・。他にはありません。