ドラゴン退治のために

ドラゴン退治

 

 

 ドラゴン退治のお話をご存じかと思います。

 

 日本なら何といってもスサノオの八岐大蛇退治ですし、ヨーロッパなら聖ゲオルギオス、英国のべーオルフ、北欧のシグルズ(ジークフリート)など、ドラゴン退治の英雄は多数います。
 ドラゴン退治には共通のパターンがあり、囚われの高貴な姫の救出、竜が(なぜか)隠し持っている財宝の獲得、その血を浴びたり肉を食べたりすることによって不死性や叡智を得ることなど。

ジークフリード

 シグルズは、魔剣グラムでドラゴン「ファフニール」を倒し、財宝を生む魔法の腕輪を手に入れ、その血をなめたためすべての言葉を理解し、その心臓を食べたために誰よりも賢くなり、更にその血を浴びて不死性を獲得します。(が、背中に菩提樹の葉が一枚張り付いていたため、そこが弱点となります)
 聖ゲオルギオスは生贄の姫君を救出し、結果として、多くの異教徒たちをキリスト教に改宗させることに成功します。
 スサノオも和製ドラゴン八岐大蛇を倒して、姫(クシナダヒメ)と宝(天叢雲剣)を手に入れます。
 スペインの伝承では、悪魔の奴隷になっていた若者が、魔法の力を駆使してドラゴンを退治、ドラゴンの卵を手に入れ、これを悪魔にぶつけて悪魔を殺し自由を得ます。
 また罪を背負った騎士が贖罪の旅に出、ドラゴンのいけにえにされかけた娘の身代わりとなり、その志ゆえに神の加護を得てこれを倒し、贖罪を終えるというものもあります。
 ただ、ドラゴンと相打ちになるケースもありますし、英雄が登場しなければ、我々庶民はいいように食われ、食われなくてもその毒にやられ、財宝や乙女まで奪われて、まったくいいところがありません。
 ドラゴン退治で得られるものは以下の通りです。

 

@高貴な姫君
A財宝
B叡智
C不死性
D自由
E神の加護

 

 これは何を意味しているのかというと、心理学的に言えばドラゴンが人間の無知、愚かさ、つまり「煩悩」のシンボルだからだそうです。

六道輪廻図

 仏教の「六道輪廻図」の中心には鳥、蛇、豚が描かれています。これはそれぞれ貪欲(どんよく)、瞋(いか)り、無知の三毒を表しています。この三毒から逃れられないと、悪循環の環から逃れられず、苦しみ続けなければなりません。そしてドラゴンはこの三つを体内に宿す、三毒のチャンピオンのようなものです。
 ヨーロッパのドラゴンや八岐大蛇は、三毒の集合体であり、それゆえに人間を苦しめるものです。
 そして、そのドラゴンを退治することによって得られる数々の価値あるものは、そのまま救済される人間の魂を表しています。

 

@救出される高貴な姫君は、解放される魂〜本来の高貴さを取り戻した自己の魂です。
A財宝は、活力・エネルギーのことではないでしょうか。
B叡智は、智慧だけでなく、自然の言葉を解する深い感性のよみがえりをも意味しています。
C不死性は、自身の魂の不滅を思い出すことでしょうか。
D自由は魂の自由の獲得で、数のマンダラの7で触れました。
E神の加護はドラゴンを倒したから得られるということではなくて、もともと得ていた加護に気づくことです。

 

 魂を縛り、埋(うず)めているドラゴンを退治できれば、その介在なしに世界に直接触れる経験ができるわけです。目の曇りも取れ、世界の本当の姿が見えるだろうし、隠されていた内なる力も表に現れてくるのではないでしょうか。
わんぱく王子のおろち退治 
 いかなる困難にも屈しない活力がみなぎり、世界の混沌に神の秩序を見出す叡智と、自然の歌を聴くことのできる深い感性を持ち、自身の魂の不死性に目覚めていて(宇宙と生命の真の関係性に目覚めている)、限りなく強く自由であると同時に、謙虚さと感謝にあふれています。何より、自分が何のために生まれてきたのか、何のためにこういう人生を背負ったのか、だからこそ今何をすべきなのかを、はっきりと理解している・・・そういう風になれると思います。

 

 逆に、我々は自覚的に自分の心と向かい合わないと、ドラゴンに支配されっぱなして、ドラゴンに支配されていることすら気づかず、人生を終えることになるわけです。
 「俺は違う。俺は自分の頭で考え、自分で決定し、行動している。」と思われるでしょう。実はそれがドラゴンの支配下にある証拠なのです。
 私もそう思っておりましたが、事実は全くの逆でした。

 

 私たちは自分について実は何も知らないのではないでしょうか。
 自分がいかなるものの影響下で作り上げられてきたのか、本当に自分と長期間、客観的に向かい合った人以外、はっきりとはわからないはずです。さらに自分の(隠された)「魂の願い」や、願いを壊す「カルマ」ならばなおさらです。それなのに、自分のことは自分で一番よくわかっていると何故か思い込んでいます。

 

 私が師匠(高橋佳子先生)から学ばせていただいたところによると、誕生以前に「魂」は、転生のプロセスで作ってきたのカルマという根源的な歪みを抱えていて、更に肉体を持つことで生物として生き延びようとする本能から、肉体にとって「快」であることを選び、逆に「苦」であることは避けようとする、その快苦の感覚にまず支配され、次に転生した地域、時代、両親や家系の血縁の影響下で「何の誰それ」の基本的なベースが出来上がり(師匠はこれを「三つのチ(血〜血縁・地〜地域・知〜時代知)」と呼んでいます)、更に、彼を取り巻く環境や、彼の魂のカルマによって、おおむね四つのタイプ(四つの闇)に分かれていきます。
 基本的くびきである快苦の感覚と、エネルギーの出方(暴流〜外に激しく出る・衰退〜内に向かう)により、四つの組み合わせとなります。即ち、快・暴流の「独りよがりの自信家」、快・衰退の「自己満足の幸福者」、苦・暴流の「うらみの強い被害者」、苦・衰退の「諦めに縛られた卑下者」です。
 私もそうですが、誰でもベースとなる闇があり、更に他の闇が複数重なるような状態となって、本当に内なる光を覆い隠すというのでしょうか、自分が何者なのか、何のために生きているのか、まったくわからなくなり、それぞれの闇の限界の中で、不本意としか言いようのない人生を送ることになります。

 

 これは本当のことです。
 例えば「三つのチ」の内の「時代知」です。
 戦前の男子中学生のなりたい職業ベスト3は「軍人」「医師」「商業者」でした。しかし現代は「Youtuber」「プロのeスポーツ(テレビゲーム)プレイヤー」「ゲームクリエーター」だそうです。
 人間は本当に時代の子です。それにもかかわらず、そんな自覚は全くありません。少なくとも、私はありませんでした。
 「地域」はどうでしょうか。
 東北人と関西人では違うとよく言われます。
 講演などで、挙手を求められると、関西人は自ら進んで積極的に手を上げますが、東北人は周囲の顔色を窺ってなかなか手を上げられないなど。
 TVとインターネットで平均化も進んでいると思われますが、例えば国や民族では更に大きく異なっているのではないでしょうか?
 イスラム圏に生まれていたら?アメリカの田舎町に生まれていたら?共産中国に生まれていたら?インドの不可触民に生まれていたら?イギリスの貴族階級に生まれていたら?韓国人に生まれていたら・・・?
 言うも愚かですが、随分と異なる自分になっていたことでしょう。

 

 「四つの闇」はどうでしょうか。
 例えば私のベースは「苦・衰退」の「卑下者」です。
 これは、師匠の本に載っている「自己診断チャート」をやってみるとわかるのですが、私の場合最も強いのが、自信ゼロで暗く内向きの「卑下者」の感覚であり、さらに二番目が(意外だったのですが)「幸福者」で、あとは「被害者」そして「自信家」の部分もわずかながらありました。
 これは見事なぐらい私の人生と重なっています。
 末っ子として生まれ、可愛がられ、わずかばかりの才能を誇って「自信家」となり、更に周囲の反感を買っていじめられ仲間外れとなり「被害者」的感情を強め、今の見ていろと上京するもすべてうまくゆかず、精神を病んで最終的には「卑下者」となったのですが、更に根本には怠け癖があって(「幸福者」)、結局何事もなしえないまま、流されるように人生の終わりに近づいてしまった・・・ということです。
 では、ここからどうすればよいのか・・・というと、まず自分がいかに作られ、いかなる闇を抱えるに至り、更にこのままいけばいかなる人生の末路を迎えるかを知り、それを打破して、本当の自分を取り戻すために、神の子の権能であり、また使命である「創造」を行わなければならない・・・ということになるかと思います。
 様々な「創造」が考えられますが、新しい技術を開発したり、芸術作品を生み出したり、科学的発見を成し遂げたり・・・とかだけではなく、人助けや、環境を守ることや、地域の活性化や、みんなが住みよい社会を作ることや、家族を幸せにすることなど、「絆〜つながり〜の回復(統合・結合)」に向かう創造行為が、神の子の創造行為と言えるのではないでしょうか。
 二元対立を宿命づけられたこの宇宙で、分裂・分断を超えて結合の領域へと向かうこと〜回帰することこそ、真の意味での「創造」ということになるわけです。
 逆に言えば「分離・分割・分断」を促進する創造行為は、神の子の創造行為ではなく、盲目の、物質の奴隷の行う「闇の創造行為」ということになるかと思います。
 大量破壊用新兵器とか、環境に配慮しない工業製品とか、一部の人間のみ得をする狂った経済システムとか、フェイクニュースとか、人間を堕落させる創作物とか、自分の利益しか頭にない「闇の創造」が、自然や世界と人類の分断を深め、人類そのものもバラバラにし、全世界を危機的な状態に追い込んでいるのと思われてなりません。

 

 では具体的に、心を支配するドラゴンを退治し、自己の魂を救出し、本来歩むべき人生を歩むにはどうしたらよいのでしょうか?

 

 神話学者のジョゼフ・キャンベルは「至福を求めなさい(Follow Your Bliss至福に従え)」と言いました。
 「至福(Bliss)」は、刹那的快楽のことではなく、魂の歓喜につながる喜びのことです。個人には活力を与え、世界を豊かにするものです。人間の中心(魂)・宇宙の中心(神)に向かう・・・そこからあふれる喜びとでもいうのでしょうか・・・なんとも表現しがたいところですが、Youtubeに動画が上がっていますので、一度ご覧になってみてください。
 「至福」の追求が、キャンベルを超越の大海原に連れて行ってくれたということです。

 

神話の力4「死と再生」(後半35分あたりから)
Follow Your Bliss(英語)

 

自分を知る力

 でも、この方法は、アーティストや学者さんにはしっくりくると思いますが、みんながみんなというわけではないようにも思えます。「パチンコが俺の至福だ」と主張する人もいるでしょうから。
 私が考える一番良い方法は、私の師匠高橋佳子先生の著作を一冊でも読んでいただくことです。
 「なんだあ、布教活動かよ」とおっしゃるかもしれませんが、その手の本を多数読んだ私が、「世界と自身の本当の姿を知り、自分を変える方法において、これ以上のものはない」と自信をもって断言できるからです。
 最新作は自分を知る力〜暗示の帽子の謎を解く」ですが、その「暗示の帽子」がドラゴンに当たります。ともかくそこにはドラゴンに支配された人間の実態とその見抜き方、ドラゴンの正体と打倒する方法が、実例を交えながら、はなはだ具体的かつ鮮明に描かれています。
 そして、ドラゴンの首根っこを掴むことができると、そのドラゴンは、その人の個性となって、逆にその人が世界に貢献する力となってくれます。仏教で言う「煩悩即菩提」が現実のものとなるのです。
 四つの闇がそれぞれが光に転じると、その人が世界に貢献する力〜個性〜に変わってゆきます。その展開にはただただ驚くばかりです。
 そして、そうしてこそ初めて、本当の意味で、その人でしかなしえない「創造」がなされるわけです。
魂の学 これは、人間が誕生してから四つの闇に埋没するまでを自分なりに描いてみたものです。
 闇(カルマ)と光(魂願)を包含する魂を、太極で表現してみました。
 実在界(あの世)から、両親を通して現象界(この世)に肉体をいただいて誕生するも、「生まれっぱなし、育ちっぱなし」で、「四つの闇」に飲み込まれた状態を「偽我埋没」と言い、自動反応から出て、自分にストップをかけ、事態を客観視し、その事態から問いかけられる命題に応えられるようになると「善我確立」、自由の翼を得て、宇宙と響働(きょうどう)できるようになると「真我誕生」となります。右側は私がGLAで教わっている偽我脱出のための行の一部です。
 詳細については、上の「自分を知る力」を読んでいただくか、GLAのサイトにアクセスしてみてください。

 

 ミヒャエル・エンデ(映画ネバーエンディングストーリーやMOMOの原作者)の「ジム・ボタンの冒険」に出てきたドラゴンは、ジムによって倒されると黄金色に輝く「叡智の黄金竜」に変じます。
 私たちを支配するドラゴンも、生まれ変われば、原田直次郎画伯の「騎龍観音」の龍のごとく、私たちを使命の地平に運び、世界と新しいかかわりを結ぶ力となってくれるのです。

 

騎龍観音

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